TOKYO ALL SAINTS VISIT TO
EPISCOPAL CHURCH OF CHRIST THE KING,
Visit to CTK in July, 2003 Tokyo All Saints'
Saturday, July 19, 2003 through Monday, July 28, 2003.
http://www.ecctk.info/cktasvst/cktasn03.htm
アメリカ合衆国・メリーランド州
「王なるキリスト教会」訪問を終えて
2003年7月19日~7月28日
東 京 諸 聖 徒 教 会
メリーランド委員会 発行
(2003年10月12日)
http://www.ecctk.org/eccknh03.htm
Guests: Ms. Jean Kiyoe Ogawa,
Rev. Mary Yamano, Shun Kaneki, and Kazu Kurasawa.
アメリカ合衆国・メリーランド州
「王なるキリスト教会」訪問を終えて
2003年7月19日~7月28日
東 京 諸 聖 徒 教 会
メリーランド委員会 発行
(2003年10月12日)
感 謝
主の平安
今夏、姉妹教会「王なるキリスト教会」からのお招きに応え、山野繁子司祭、倉澤一太郎さん、金木俊太郎さんの三人の訪問が実現できましたことを感謝いたします。
渡米にあたり前回の訪問の時と同様、教会員の皆々さまはじめ多くの方から熱き
エールをお送り頂き、多大のお支えを賜りましたことを心から感謝申しあげます。
そしてリンダ・フェルナンデス司祭はじめ「王なるキリスト教会」の皆さまの相変わらぬ心からの歓迎に感謝いたします。 海を越えての交流であっても、「One Lord, One Faith = 主は一人、信仰は一つ」であることを思いつつ。
山野司祭はじめ訪問者の報告や体験記などを通して「王なるキリスト教会」との
交流の様子やこれからの交流を感じとって頂き、分かち合えたら嬉しく思います。
この度も、小川清恵さんがスケジュールの後半、現地での引率、交流にご奉仕くださいましたことを感謝して申し添えます。 主に感謝
2003年10月
東京諸聖徒教会 教会委員会
メリーランド委員会
2003年メリーランド(MD)訪問日程
2003年7月19日 SATURDAY, JULY 19, 2003.
山野司祭・倉沢 (Kazu)・金木 (Shun)ボルチモア着
Arrival of Rev. Mary Yamano, Shun Kaneki, and Kazu Kurasawa
at Baltimore Washington Intl Airport.
Dinner at Double-T Diner with the Burdnells, Moores, and Pat Smith.
in Baltimore (ボルチモア).
2003年7月20日 SUNDAY, JULY 20, 2003.
王なるキリスト教会日曜礼拝出席。礼拝後、持ち寄り愛餐会。
Service at Christ the King Church.
Potluck Lunch at Christ the King Church.
Presentation of gifts.
Scenic Tour of northern Baltimore county,
along Falls Road, with Pat Smith.
2003年7月21日 MONDAY, JULY 21, 2003.
ボルチモア市内観光。
Tour of Downtown Baltimore with Pat Smith.
Visit to Fells Point. Water-taxi to the Inner Harbor.
Oriole Park at Camden Yards.
Dinner with the Moores and Pat Smith at J. Paul's seafood restaurant.
2003年7月22日 TUESDAY, JULY 22, 2003.
王なるキリスト教会プログラム見学。
MD教区主教座聖堂見学。
水族館見学。
Visit to ECCP at Christ the King Church.
Visit to Cathedral of the Incarnation.
Lunch at Pizza Hut with Pat Smith, Barbara and Vince Moore.
Visit to National Aquarium.
Dinner at Rev. Linda Fernandez.
2003年7月23日 WEDNESDAY, JULY 23, 2003.
山野司祭帰国の途に。
Kazu・Shunワシントン観光。スミソニアン博物館、ワシントン大聖堂など。
Departure of Rev. Mary Yamano at Baltimore Washington Intl Airport.
Visit to Washington, DC, with Karen and Jackie Burdnell.
Visit to National Cathedral.
Visit to Smithsonian Museums: Natural History; Air and Space.
2003年7月24日 THURSDAY, JULY 24, 2003.
キャロルさんが教えている中学校の夏季学習に参加。
MDのNASA施設、Goddard Space Flight Centerを見学。
Arrival of Jean Ogawa at Baltimore Washington Intl Airport.
Visit to Baltimore City summer school with Carol Gooden.
Visit to National Aeronautics and Space Adminstration.
2003年7月25日 FRIDAY, JULY 25, 2003.
ボルチモア市でアート展覧会。
小川到着
Visit to Baltimore City Artscape with Carol Gooden.
2003年7月26日 SATURDAY, JULY 26, 2003.
Kazu州都アナポリス観光
Shun・小川
ニューヨーク観光
Visit to Ground Zero, New York City: Jean Ogawa, Shun Kaneki.
Visit to Annapolis, State Capitol, Baltimore Yacht Club,
U. S. Naval Academy, Lunch at Buddy's Crab House
with Dick Janes: Kazu Kurasawa.
2003年7月27日 SUNDAY, JULY 27, 2003.
王なるキリスト教会日曜礼拝出席。礼拝後、歓送会。
マードック家でホームステイ先の人たちとの夕食会
Service at Christ the King Church.
Picnic Lunch at Christ the King Church.
Presentation of gifts.
Lay Episcopal Ministry with Pat Smith.
Dinner at the Murdocks.
2003年7月28日 MONDAY, JULY 28, 2003.
Kazu・Shun・小川帰国の途に。
ムーア氏による日程表 (小川 訳)
Departure of Jean Ogawa, Shun Kaneki, and Kazu Kurasawa
at Baltimore Washington Intl Airport.
メリーランド教区王なるキリスト教会訪問の報告
司祭 山野 繁子
1 リンダ司祭との時間
7月19日(土)朝、教会を出発、同日午後3時半にボルティモア空港に到着。お迎えに来てくださったナンシーさんが早速王なるキリスト教会の牧師館に案内してくださいました。リンダ司祭とご家族(息子さんのトミーとボブ、お連れ合いのルディ、そしてその母上、もう一人の息子さんはフロリダに滞在中)に温かく迎えられて、水曜日まで4泊させていただきました。リンダ司祭はとても忙しそうにコンピューターに向かって仕事をされている時間が多いようでしたが、夜のひととき、ソファで、または食堂でいろいろおしゃべりする時間も取ってくださいました。買い物のために車に飛び乗って近くのお店まで行くときも、帰る時に空港まで見送ってくださったときも、全部が大切な分かち合いの時間ともなりました。礼拝のこと、牧会のこと、家族のことなど、率直に語り合う時間を与えられたことに心から感謝しています。
2 教会の礼拝から
1)信徒奉事者の働き
聖餐式で信徒奉事者が信徒の代表として果たす役割は、とても大きいもののようです。主日の朝はやはり大きな緊張のひとときです。短い時間で多くのことが牧師に伝えられ、皆が心静かに礼拝に集中できるように、あえて言葉には出さなくても信徒奉事者や教会委員、サーバー、オルターギルドの方たちが見事に連携してその時間を担っています。それは東京諸聖徒教会でもまったく同じです。
聖餐式も終わりに近づき、陪餐後の感謝の直後、祝福の祈りの前に、信徒奉事者が、その礼拝の中で皆が共にあずかった聖餐の一部を病者のために届けるための派遣の祈りを、司式者と会衆が一緒に唱えます。この聖餐式で聖別されたパンとぶどう酒を病床にすぐに届ける働きが、会衆全体の祈りと励ましの中で行われていることに大きな意味を感じました。病床にある方々だけでなく、さまざまな事情で家から出にくい人々、施設で生活している人々、場合によっては刑務所や拘置所にいる人々にも運ばれるのです。教会の中にいる人々だけで満ち足れりとするのではなく、むしろそこに来られない人々への大きな配慮がはっきりと示されることによって、教会の交わりの広がりが目に見えるものとされていると感じました。
2)癒しの祈り
会衆の陪餐中に、祭壇の左の部分で、数人の人々が肩を抱き合い、頭を近づけ合って祈りをしていました。陪餐が終わった方々の中で、特別に祈りを必要としている人々が、信徒奉事者に支えられ、祈られている姿でした。これも教会の働きとして、癒しのための祈りが会衆の目の前で、信徒たちによって担われていることであり、祈りを求め、祈り合うことが自然な信仰の形として生きていることを示されたように思います。
ちなみに、あるファーストフードのお店に入ったとき、そこで働いている若い店員さんが、わたしが司祭であることを知ると、「あとでわたしのために祈ってほしい」と言いました。食事を終え、皆で店を出る前に、出口の所で彼女と手をつないで祈りました。こんなふうに、日常生活のあらゆる場面で祈ること、祈り合うことができることは、緊張の多い現代の都市生活において、オアシスのようなひとときなのではないかと感じました。
3)代祷
聖餐式の代祷の場面では、担当される方が全体としての決まった祈りをささげた後、少し自由に、それぞれの祈りを声に出して祈る時間があり、牧師も会衆も、その場で大切な祈りの課題を分かち合います。最後に言葉を添えて締めくくるのは牧師の祈りですが、書かれていない事柄でも、その場で声に出されることによって、会衆全員の祈りとされ、その礼拝が生きた祈りの共同体の場となることを感じました。このような場面で呼吸が合い、互いに無理なく、豊かな祈りの時間を創れるということは、牧師と会衆の間の信頼と良いパートナーシップが築き上げられてこそなのだという印象を与えられました。
3 青年たちへのミニストリーと賛美の礼拝
会衆の中にある世代間の開きは、やはり大きな問題になっているようです。1ヶ月に1回土曜日の夕方6時から9時半頃まで、教会の建物は青年たちのために用いられています。「ユース・ナイト」と呼ばれ、軽い食事の用意、遊びやおしゃべり、卓球で楽しむなど、それぞれの過ごし方があるようです。「今夜はずっと卓球をしてたよ」と言って、汗をふきながら、リンダ司祭の息子さんは遅く牧師館に帰ってきました。青年たちの「居場所」を提供すること、話し相手がいること、仲間づくりができること、そんなことが教会として大切にしていくことができるはずだと感じました。
さらに、大人たちが長年守ってきた礼拝の形が、果たして青年たちにとってはどれだけ聖書の言葉が心に伝わり、神と語り合うときになっているだろうか、という問いをリンダ司祭は真剣に考えておられました。「礼拝する形」にはいろいろあって良いのではないか、ということを一緒に考えるために、日曜日の夕方、他教派の教会で開かれていた青年たちのための礼拝に参加するというプログラムを作ってくださいました。
会衆席の前に大きなスクリーンには、礼拝のテーマと考えてほしい質問が映し出され、ギターなどの伴奏で賛美の歌が流れ、一人一人に問いかけるような説教があり、長い沈黙の後、祭壇のところに集まって祈るときがある…そのような礼拝でした。日本聖公会の礼拝に慣れているわたしたちにとっては衝撃的でしたが、これからの世代にふさわしい礼拝のあり方を考えていくためには、良いチャンスを与えられたのではないかと思っています。
4 多様性をよろこび、「地球規模」の交わりへと進む教会
わたしたちが参加した主日礼拝では、リンダ司祭とナイジェリアからのクリスチャン司祭、そして私自身が祭壇で共同司式をさせていただきました。礼拝後にパット・スミスさんが、「今日の聖餐式では3つの大陸の人々が共に神を賛美することができました。これは
一つの町の教会としてはとても珍しいできごとなのではないでしょうか?」と言われました。王なるキリスト教会にはたくさんの人種、民族、文化を代表する人々が集まり、服装も体格もさまざまです。とくに最近はナイジェリア出身の方が増えておられるということ、これらの方々をとおして、アフリカで今起こっているできごとがとても身近かに感じるようになったと言われていました。
そのような中で、わたしたち東京諸聖徒教会との姉妹教会としての交わりも大切にされているということを改めて感じさせられました。
5 これからの交わりに向けて
これまで10年以上続けられてきた王なるキリスト教会と東京諸聖徒教会の交わりの中で積み重ねられてきた友情と信頼関係は、とてもしっかりしたものだと感じました。そのために、双方に良い意思疎通を継続してこられた方々の努力に改めて感謝したいと思います。わたしたちへの関心と理解を示し、力を惜しまずにささげてくださるこれらの方々を、神への信仰にあって共に成長する兄弟姉妹として、これからも大切にしていきたいと感じました。
今、アメリカの若い人々にとって、日本の文化はかなり関心の高い分野なのだろうと思われます。そして東京諸聖徒教会と王なるキリスト教会という個別教会同士の交わりだからこそできることが、きっとたくさんあるのではないでしょうか。かといって、互いに無理をするのではなく、それぞれができる範囲で交流を続けることによって、わたしたちもずいぶん世界に向かって目を開かせられると思います。若い人々だけでなく、奏楽者、聖歌隊、オルターギルド、教会委員、日曜学校など、それぞれの働きや経験を分かち合うことは、この広い世界でわたしたちが、イエス・キリストをとおして与えられた神様への信仰を分かち合うことのすばらしさを味わうことは確かなことです。
皆様のお祈りとお支えに心から感謝し、これからも王なるキリスト教会との豊かな交わりが展開されることを願って、この報告を終わらせていただきます。
2003年夏メリーランド訪問
小川 清恵
今年もまた皆様のお祈りのうちに、倉沢一太郎さんと金木俊太郎さんが姉妹教会であるボルチモアの王なるキリスト教会を訪問しました。リンダ司祭をはじめ教会員方々のいつもと変わらない暖かい歓迎を受け、無事に10日間の学びの時を過ごしました。山野先生も一緒に前半の日程を過ごされ、リンダ司祭とこれからの交流について話し合いの時をもたれました。王なるキリスト教会の皆様も私達との交流を大切に続けていきたいとのことで、これからもいろいろな方面で共に活動していくことを改めて、確認しました。また、今後の交流について、若い人たちだけでなく、例えば聖歌隊、オーガニスト、婦人会などでも交流の機会があればお互いの活動について学び、またお互いの活動を知る事によって、理解が深まり、交流の輪がまたひとつ大きくなれるのではと思います。
私も後半の3日間に合流し楽しい時をすごさせていただきました。いつものスティ先のマードック夫妻をはじめ、以前からの教会員の方々との親交を深めまた新しい出会いもありました。特に今回の訪問では、27日の日曜日に聖歌隊に参加させていただき、主を賛美する歌で一緒に奉仕したことが、一番の思い出です。
来年はボルチモアから東京諸聖徒教会を訪問したいというお話がありましたので、また皆様と共に準備・計画をすすめ大いに歓迎したいと思います。
(当教会 メリーランド委員長)
メリーランド訪問
金木 俊太郎
今回「アコライトとして」、倉澤さん、山野司祭と一緒に王なるキリスト教会を訪問させていただきました。
僕は正直な話、「アコライトとして」行ってほしいと言われたとき、かなり不安に思いました。アコライトについて全然詳しくないし、毎回のアコライトの仕事にしても教えられたことをやっていただけでした。
そんな自分が向こうに行って一体何をすればいいのか?という事を色々考えましたが、「何もそんなに難しいことを考えなくても、そういう難しい事は倉澤さんに任せて自分は自分なりに簡単でもいいから何か学んでこよう。」という少々無責任な考えに行き着きました。
そして、7月19日にアメリカン航空の飛行機で、成田→ダラス→ボルチモアという途中1回乗り換えをして無事にボルチモアに着くことができました。飛行機の中では緊張していて眠れず、さらに13時間という半日遅れの大きな時差があり、着いて早々眠気に襲われました。向こうの教会の方々にお昼ご飯(3時頃だからオヤツ?) に連れて行ってもらいましたが、あまりに眠くて食べている途中に寝てしまいました。そのせいで、その後の予定をキャンセルして、その日はそのままパットさんの家で休むことになりました。この日、初めて「日本語のしゃべれない外国の方」と会い、そのコミュニケーションの難しさに大変苦労しました。僕の中で一番印象に残っているのはこの事だったりします。
滞在2日目は日曜日でした。王なるキリスト教会に行きミサに参加しましたが、勿論全部英語で何をやっているか僕にはサッパリでした。アコライトの人達の動きを見ていましたが、最初に火を点ける以外の仕事は確認できませんでした。仕事少ないのかな?と思いました。その後愛賛会に参加して、そこで日本からのお土産がリンダ司祭に渡されました。皆さん喜んで下さたようで、とてもよかったです。この日は、色々な人に話しかけられましたがほとんど聞き取れず、返事をすることができませんでした。
3日目は、パットさん、山野先生、倉澤さんと僕の4人でボルチモア港を見学しました。パットさんは野球チーム「ボルチモア・オリオールズ」のファンということもあって、オリオールスタジアムの見学ツアーに参加しました。ガイドの人が球場について説明してくれるのですが、僕はその説明を理解することができず、ずっと山野先生に日本語訳してもらっていました。この日気がついたのですが、向こうは9時過ぎくらいまでずっと明るくて、子供たちが9時ごろまで遊んでいるのが見られました。
4日目には同じボルチモア港にある水族館に行きました。巨大なクジラの骨が天上からぶら下がっているのがとても印象的でした。イルカのショーを見ましたが、イルカの調教師(?)の人が英語でいろいろ話していたのですが、僕は相変わらず理解できませんでした。でもこの日くらいから、周りの人が言っていることがなんとなく聞き取れるようになってきました。しかし会話ができるのにはまだまだだと思いました。
5日目はワシントン市内の見学をしました。恐竜や、宇宙の博物館に行きましたが、どこもセキュリティチェックがすごく厳しかったのが印象に残っています。でも入場料は無料なようでした。
6日目、7日目共にショッピングをしました。「大家族用のスーパーマーケット」に連れて行ってもらいましたが、そのお店の大きさ、商品のサイズの大きさ(基本的に箱売り)に驚愕しました。7日目の夕方頃、ボルチモア市内でアートフェスティバルがあり、それを見に行きました。いろんな「芸術家」の人達、例えば点描画家、画家、陶芸家の方々がそれぞれお店を出して、自分の作品を売る。というお祭りでした。
8日目には、小川さんと僕の2人で、ニューヨークに行きました。僕は、今回のアメリカ行きの話があったときから、「グランドゼロ」を見てみたいと思っていたので、小川さんに話したところ、向こうの人に話してくださって、ニューヨークに行くことが出来ました。ボルチモアからニューヨークまでは、バスで3時間ほどでした。土曜日ということもあってか、ニューヨーク近くの道路が渋滞していました。ニューヨークでは、市内バスが出ていてそれに乗ってグランドゼロの近くまで行きました。グランドゼロの周りはまだ壊れているビルがあり、今もまだテロの傷跡が残っていました。そして、貿易センタービルがあった部分には大きな穴が開いていました。その跡地には、又世界1高いビルが建つそうです。その後はマダムタッソーの蝋人形館や聖公会のトリニティ教会、カトリックの教会等に行き、その後は買い物などをしました。ヤンキースショップで買い物をした後、その隣にあった吉野屋でお昼ご飯を食べることになりました。小川さんはこの日初めて吉野家の牛丼を食べたそうです。味は日本の吉野家とあまり変わらなくてよかったです。
9日目は日曜日でした。前回のミサの時よりはまだ何をやっているか理解できた気がしましたが、やはり自分程度の英語力ではちょっと難しいと思いました。この日もアコライトの人はあまり仕事が無いように思いました。ミサの後、パットさんと倉澤さんと一緒に「出張ミサ」というものに連れて行ってもらいました。これは、病気や怪我等で教会に来ることが出来ない人のために、信徒法事者の方がその人の家に行って、簡単なミサを行うというものでした。夕食はベジタリアンの方のお宅でいただきました。本当に豆腐や野菜ばかり出てきて、倉澤さんはちょっと物足りなさそうな感じでした。
今回の訪問で僕が一番感じたのは、向こうの方々のやさしさや、気さくさでした。レストラン等にいくと、店員の方と話が盛り上がったりする場面を何度か見ました。日本じゃまずありえない光景だと感じました。
又、今回ほとんど向こうの人と話すことが出来なかったので、もうちょっと英語を勉強しようと思いました。
今回、本当に貴重な体験をさせていただいたことを皆様に心から感謝いたします。ありがとうございました。
メリーランド教区訪問 旅日記
倉澤 一太郎
7月19日(土)
とうとうアメリカへと旅立つ日がやってきました。
朝早くに教会を出立、日暮里駅で山手線から京成線に乗り換え、揺られ続けること約1時間。
成田空港の常連・小川清恵さんの案内によって、山野先生と私は無事に成田空港・北ウィングに到着した。そういえば前回、私が成田を利用したのはもう7年も前のこと。あの時は第2ターミナルだったので、第1ターミナルに来るのは本当に久しぶり。エレベーターから降りると自然と足が右へと向きましたが、小川さんに「こっち、こっち」と左の方へ呼ばれてしまいました。
そう、前回ここへ来た時は左側の北ウィングは拡張工事中で、右側の南ウィングだけでした。
懐かしいどころか、全くの知らない空間に思わず面食らってしまったのです。
そしてそこはチェックインを待つ人たちでごった返す、国際空港ならではの空間でした。
行き交うパイロットやキャビン・アテンダント(今はスチュワーデスとは呼ばない)たちが
キムタクや黒木瞳に見えてしまう、名作『グッドラック』の舞台に迷い込んだ気分になります。
しかし、カウンターに並ぶ前のセキュリティチェックの厳しさは私たちを現実へと連れ戻して
くれました。何が引っ掛かったのか、俊太郎君のスーツケースは係官のご指名を受けたのです。
チェック自体はすぐに終わり、放免となって我々はチェックインを済ませましたが、3人の席は見事にバラバラになりました。山野先生は機体のずっと後ろの方に、私は機体の少し後ろ寄り、俊太郎君は翼の真上辺りにと分散されたのです。ともあれ、お見送りに来て下さった小川さん、金木さんとのお別れの挨拶もそこそこに、我々は大急ぎでパスポートチェックへと向かいました。
カウンターは長蛇の列で、2時間前に到着しながら既に出発1時間前をとうに過ぎていたのです。
各自が順番に機内へ入って行くほんの十数分前に、搭乗ゲート前のカフェで旅の無事を祈ってのコーヒーを飲むことが出来たのが、なんとも幸運だったと思えるほどの慌ただしい出発でした。
7月19日(土)
19日の午前9時30分過ぎ、私たちの乗るアメリカン航空176便はダラス国際空港に無事に到着しました。ここで入国審査を受け、ボルティモア行きの国内線へと乗り換えです。
この空港、とにかくデカイ!ああ、アメリカに来たんだなあ、と感じる場所です。
入国審査ははっきり言ってイライラさせられました。
朝早いせいか、係官が少なくて審査ゲート前は長蛇の列。さらに、私たちが並んでいたゲートは係官がランプを点け忘れていたため、途中から合衆国市民用に切り替わり、最後尾に並び直しとなって私たちを慌てさせてくれました。その上、係官は急にいなくなったりと、やきもきさせてくれました。この時点で国内線出発まで残り40分を切ったのですが、無事審査を通過したため少し安心していました。しかし、アメリカの巨大空港は甘くなかった。
手荷物を回収して、国内線への乗り継ぎロビーへと向かったのですが、ここでもセキュリティ
チェックが待ちかまえていたのです。それも、これまでに経験したこともないような厳重なものでした。エックス線に金属探知器が待ちかまえ、ちょっとでも反応すればさらなるチェックです。
ここで私は、貼り薬を切るために持ってきたハサミを取り上げられました。イギリスやイタリア、フランスにも同行した愛着あるハサミでしたが、とうとうアメリカでお別れさせられたのです。
「そんな小学校の図工で使うような可愛いハサミをテロリストの道具と一緒にしないで」と言いたかったのですが、頑固そうな係官の一睨みに私は抵抗を諦めました。
「帰国までこの空港で預かろうか?」と言われても、帰りはシカゴ経由です
「あなたに上げるよ」と言ってお別れし、私は山野先生と俊太郎君のもとへ急いだのでした。
テロリストへの怒りは、余りにも長くて遠い搭乗ゲートへの道で消し去られました。
搭乗ゲートのナンバーはそんなに離れていないと思わせるものでしたが、とんでもない。
歩けども近くならないナンバーに次第に歩くスピードも速くなり、「これで同じターミナルなら、もし違うターミナルだったら絶対に間に合わない!」と思うようにもなりました。
何でもダラス空港には、乗客の移動のためのアメリカン航空専用のトレインだか、トラムだかがあるらしいのですが、とうとう分からずじまい。幸いにも、搭乗開始の数分前に到着しましたが、あれほど内心でスリルを感じて走ったのはかなり久しぶりのことでした。
ダラスで国内線に無事に乗り込み、いよいよボルティモア空港に到着です。
この時の私たちの心配は、出迎えに来て下さっている「王なるキリスト教会」の方々を見つけられるかという事でした。当然のことながら、空港にはいわゆる「外人さん」ばかり。
「サンタクロース」みたいな人が「ビル・ムーアさん」という、小川さんの表現を頼りに探すとしても、果たしてそんな人が見つかるのか?という思いでした。
「アッ、サンタクロース!」
いました。本当に「Mr.サンタクロース」という感じの人が出口に立っていたのです。
赤い服こそ着ていませんが、「出校途中のサンタクロース」という感じでした。
「Mr.ムーア?」
思い切って声をかけると、ドンピシャリ!
なんて見事な表現と感心しました。
そのすぐ後で、私たちは出迎えに来て下さったマードックさんご夫妻、バードネルさんたちにもお会いできました。どうやら皆さん、ムーアさんを目印にしていたようで、すぐに見つけられたみたいです。それから、私たちは荷物を回収して空港を出ることになりました。
そう、ここで私と俊太郎君は、山野先生とお別れです。
山野先生は「王なるキリスト教会」のリンダ・フェルナンデス司祭の牧師館へ、私たちはホームステイ先であるパット・スミスさんの家にそれぞれ向かうのです。
一抹の不安を抱えながらも空元気を振り絞って、ニッコリとお別れしたのでした。
アメリカはデカイ!
空港からのハイウェイを走るバードネルさんの車から外を眺めつつ、そう思いました。
道路の規模は日本よりも少し広めですが、何より道路の脇に建物とかが無く、草ッ原のままなのです。どんなにスピードを出しても、騒音を立てても苦情が出てくるとも思えません。
さらに、渋滞が無い。滞在期間中に「渋滞!」と言われたことは何回かありましたが、日本人の私たちにとってあんなのは渋滞でも何でもありません。「よく流れている」程度です。
120kmで走っていたのが90km,80kmになったのが我慢できないようで、「渋滞」に待たされる位ならば回り道(近道では決してない)をしても、120kmで走る方がマシなようです。
なお、この回り道は諸聖徒教会から東京駅に向かうのに、山手通りを走って渋谷に向かい、それから六本木を通って東京駅に向かうという感じの回り道ですが、恐ろしいことに時間的にはそれほど違わない位のスピードで走ってしまうみたいです。
パットさんも大きかった。
ホームステイ先のパット・スミスさんの家に到着すると、パットさんはアメリカンスタイルの
「ハグ」で出迎えてくれました。これを予感して私も「ハグ」で返しましたが、パットさんの
体格は予想をはるかに超えるものでした。
身長はともかく、横幅はチョットあるであろう私をパットさんは包み込んでしまったのです。
見上げれば、パットさんの顎が私の頭の上にあるという具合です。
「グランマ」とか「グランド・マザー」というのは「お祖母さん」という意味だと思っていましたが、「デッカイお母さん」のことだったのかと思ったほどです。
さらに、その大きなアクションを伴った感情表現に、私は何とも言えない安心感を持ってしまいました。自分が子供にかえり、物語の「森の熊さん」に抱かれた気分になったようでした。
私がそんななのですから、俊太郎君はパットさんに「ハグ」されると見えなくなってしまいます。
まあ、アメリカの少年・少女たちは10代になると巨大化する様子ですし、実際に信じられない
位のサイズの子たちを見てしまうと、俊太郎君が「針金のように」とか「小枝のように」なんていう童話の表現に見えてしまいます。この私がアメリカ人の中に入ると、全然目立たなくなるのですから、いたしかたないことでしょう。まあ正直、私には嬉しくなる事でもありました。
ちなみにパットさんの娘さんはパットさんよりも10cm以上大きく、息子さんはさらに大きくて2メートルを越えるとの話。家の玄関に何度も頭をぶつけたとのことで、とても信じられないと思っていましたが、息子さんのカブスカウト時代の制服を見て納得、納得。いやあ、デカイ!
それに、部屋のベッドの大きいこと。こんなに伸び伸びしたのは久しぶりでした。
初めてのアメリカン・ミール
パットさんの家に到着して30分位の後、「お腹は空いているか?」とジャック・バードネルさんに尋ねられました。時差もあって気付いていませんでしたが、夕飯の時間になっていたのです。
(待ってました!)
日本を出る前に、以前メリーランドを訪問した方から「お腹は減ってないと言ったらその日は
夕食なしになってしまい、月の明かりを頼りに音を立てないようにお煎餅をかじった。」と聞かされていたので、「日本人的な遠慮は危険!」と構えていたのです。
「イエス!アイム、ハングリー!」
大きな声で答えると、「OK!」と大きな動作付きの笑顔で迎えられました。
ちなみに俊太郎君は「それほどでも・・・」とのことでしたが、「問答無用!」で連行です。
食事に行った先はW・TT・ダイニングなるレストラン。
外見は日本のファミリーレストランのような店でしたが、繁盛している人気店のようです。
ここで先ず出てきたのが「バッファロー・ウィング」なる「鳥の手羽先・辛味焼き」でした。
これがなかなかイケル!
ピリッとした唐辛子風味が食欲をかき立て、小さいこともあって幾つも入ってしまいます。
「ウーン、ビール!」と思わず言いたくなりましたが、ガマンガマン!
レモン入りのミネラル・ウォーターで乾杯!したのです。
「試してみる?」
ジャックさんの娘のジャッキーさんが、私にチョコレート・シェイクを差し出しました。
こういう場合、「サンクス!」と言って試すのが私です。
「OH!スウィート!NO、ベリー・スウィート!」
そう、そのチョコレート・シェイクは甘すぎでした!
噂には聴いていたものの、アメリカのスウィートがここまで甘い物だとは・・・。
その甘さを言葉にすると、砂糖が飽和状態になって浮いているのが目に見えるチョコレートを溶かし、そこにコンデンス・ミルクを入れてシェイクして、液体状にして飲み易くするために溶けたアイス・クリームを加えてのばしたような味と言うところでしょうか。
私の反応に一同は満足したようで、大笑いしていました。
ジャッキーさんのお母さん・カレンさんは諸聖徒教会を以前訪問した折りに日本のスウィートを体験しており、余りにも甘くないことに驚いたそうです。その経験から、日本人がアメリカのスウィートを試したらどんなに驚くか、楽しみにしていたみたいです。まあ、確かに驚きました。
ちなみに、俊太郎君のリアクションは一同を満足させるにはほど遠いものでした。
すでに彼の疲労はピークに達しており、反応はどんどん鈍くなり、食事の途中で夢の世界に落ちてしまっていたのです。無理もありません。成田からダラスまでずっと独りで、緊張の余り眠れずに過ごし、日本時間ならば午前2時を過ぎて3時になろうという時間です。
俊太郎君が徹夜で遊んだりしない、昨今では珍しい規則正しい生活を送る好青年であることがアメリカの地で多くの証人の前で立証されました。めでたし、めでたし!
「起こしてはかわいそうだから、そっとして出ていこう。勘定は彼に任せて」
危機一髪、彼は皿洗いのピンチを脱することができました。みんな良い人たちで良かった!
さて、当初の予定ではこの日の夜は教会のユースの集まりに出席することになっておりましたが、食事中に眠りに落ちてしまうようでは無理というもの。
時差というものはなかなかに面倒なもので、私も目の前に雲が浮かんでいるような感じになってきました。そこで、パットさんの忠告に従って予定はキャンセル、ベッドに直行することにしました。ほとんど、バタンキュウという感じで寝たのですが、俊太郎君にいたっては部屋のドアを閉めることも出来ずに眠ってしまったため、ずっと言われ続ける羽目になりました。
実際には彼のベッドをセットした際にドアがベッドと布団に引っかかってしまい、それを直さないと閉められない状況になっていた為なのですが、直す手間も惜しいくらいに眠かったのが真相というところです。ちなみに私はキッチリとシャワーも使わせてもらいました。
日付変更線のために2日間に渡る長い19日となりましたが、日本を出てボルティモアに着き、なんとか無事に一日を終わることが出来ました。神様に感謝!です。
7月20日(日)
「王なるキリスト教会」デビューの日です。
正確には昨日、ほんの少しだけ立ち寄りましたが、本当に立ち寄っただけで礼拝も何もしていませんので、本当の意味でデビューと言って良いでしょう。
以前、訪問された方は「赤い教会」のイメージが残っていると思いますが、「青い教会」に変身していました。私なんかは「青」が好きなので「イイ感じ!」と思いましたが、後で合流された小川さんにはえらく不評でした。小川さんの話では教会員にも評判が良くないとのことで、予定ではもっとキレイになるはずだったそうです。
エアコンが無いために、夏季は暑くて礼拝ができなかった礼拝堂はエアコンがしっかりと入っていました。ちなみに、今年のメリーランドはなかなかに暑く、連日30度以下になることはありませんでした。ただ、湿度はそれほどでもなく、汗はかいたとたんに蒸発という感じの暑さです。
木陰に入って風を受ければ気分はもう地中海沿岸、とうたいたいところですが、滞在期間中に風を感じたのは港などの海近くに行った時くらいでした。そのせいか、メリーランドの人々は家の中に閉じ籠もっていることが多いのか、外を歩いている姿をあまり見かけませんでした。
驚かされたのは先ずは代祷でした。一応の形式はあるようですが、突然出席者が勝手に代祷を自分の言葉で唱え始めました。会衆席のあちこちから、短い祈りの言葉が聞こえてきます。
英語のお祈りだけではなく、明らかにそれ以外の言語でのお祈りが聞こえました。
後で知ったのですが、「王なるキリスト教会」では17の言語でお祈りがなされるとのことで、代祷の時はそれぞれの言葉でそれぞれの思いや、願いをお祈りするのだそうです。
さすがは多民族国家アメリカだと感じました。
その次は「平和の挨拶」です。
これは多分すごいのだろうと予想していたのですが、予想を上回りました。
出席者が一斉に歩き回り、全ての出席者と握手を交わし、親しい人と「ハグ」して回ります。
礼拝堂内を一周するような感じで皆さん動き回り、その間の礼拝は実に賑やかに中断です。
シャイな日本人たる私は思わず出遅れてしまいましたが、すぐに追いつくことができました。
フレンドリーなアメリカの人々は、誰かがボーと立っているのを見逃してはくれません。
我も我もとやってきて握手とハグの津波状態となり、いつの間にやらこちらも慣れてしまうという具合でした。
教会員、特に教会委員の方たちはいろいろなお仕事を担当していました。
聖別の頃には司祭様たちと一緒にオールターの周りに立ち、共にお祈りを捧げ、分餐を担当しますが、ほかに陪餐の間にオールターの脇で「ヒーリング」という祈りをします。
病気や悩みのある人たちの肩を抱いて共に祈る、というものです。これは初めて見るものでした。
また、愛餐会終了後に病気などで教会に来ることが出来ない人の元に、パンとぶどう酒を届けるという役目も担当していました。週替わりで配達する係りを決めているようです。
私たちが同行させてもらった時は、娘さんは教会に見えられたがお母さんが歩行困難のために来られないという状況での配達でした。配達係の方は、その日のお説教の要点も伝えないといけないとのことで、なかなか大変なお役目と感じました。ですが、聖餐を配達してもらった方は非常に嬉しそうで、わずかながらも元気を回復されたように見えました。
さて、礼拝後の愛餐会は実にアメリカらしいフリースタイルなものでした。
いつの間にか始まっており、食前の感謝も各自でするというものです。
食べ物は教会のキッチンで作ったホットドッグとハンバーガーをメインに、持ち寄ったサラダやピラフや煮込みなどの民族料理が並べられます。後から出される物も多く、早くから飛ばして食べてしまうと悔しい思いをするかもしれません。スウィート、つまりデザート類も多く並んでおり、ケーキ類からクッキーやチョコレートなど種類が豊富です。アメリカの人たちの甘い物に対する姿勢が感じられます。もちろん、味の方は「激・激・激甘」クラスが大半で、クリームもバタークリームが主のコッテリ系なので、さしもの私も手を出すことは控えました。
ドリンク類も豊富です。コーラやサイダー、レモネードの他に、ルート・ビールなる薬のような臭いの怪しげな飲み物がありました。「スヌーピー」が漫画の中で乾杯していたので、密かな興味を抱いていたのですが、「何じゃ、こりゃ?」としか表現出来ない味でした。
ウーム、スヌーピーの味覚、恐るべし。勇気ある人は、機会あればお試しあれ!
それとは別に、ホットドッグとハンバーガーは意外なくらいアッサリしていました。
焼く時にオイル類をあまり使っていないか、日本のモノの方が油っぽいかもしれません。
おかげで、けっこうな量がお腹に入ってしまいます。また、周りの食べっぷりにも触発され、バクバク食べると皆に歓迎されるので、ついつい食べ過ぎてしまいます。非常に危険です!
礼拝の後はパットさんの車で山野先生も一緒にドライブ行でした。
「スノーボールを食べに行こう。古いドライブインがちょっと行ったところにあるから。」と言われてパットさんの車に乗り込みました。「レベッカ」という名前のパットさんの車は2ドアのスポーツカーで、後部座席に座ると大きなシートのために前方がすっかり見えなくなります。
そこに同じようなスピードで走られると、時差ぼけがまだ治りきらない私と俊太郎君にはこれ以上ないほどの心地よい振動となり、あっという間に眠りに落ちてしまうのです。
ほんのちょっと気を失っていたつもりで起こされた時には本当に山の中、高原のドライブインのような店の駐車場でした。辺りには「王なるキリスト教会」の周囲には無かった農場のような雰囲気の草原や畑が広がっています。「ここはドコ?」という具合です。
「ここはニュージャージー州の山の中。」
何と言うことか!ほんの1時間くらい気を失っている間に、私たちはメリーランド州から州境を越えてニュージャージー州に来てしまっていたのです。恐るべし、アメリカン・ドライブ!
ちなみに、どのくらい移動したのかについてはみなさんでお調べ下さい。
ガラガラの道をハイウェイを120km前後、田舎道は80km前後で、渋滞知らずで走ったのですから、どのくらい走ったなんて考えるのもコワイくらいです。それも、スノーボールを食べる、早い話がかき氷を食べるために走ってきてしまったのです。もちろん、アメリカのカントリーサイドを見せてあげようとのお心もあるでしょうが、この「ちょっと」の感覚には驚きです。
ちなみに目的のスノーボールは店の定休日により、あえなく断念となりました。
その後教会に戻Ӛ